1947年東京生まれ。東京大学工学部計数工学科卒業、スタンフォード大学工学部博士課程修了。東京工業大学経営工学科助手、専修大学経営学部助教授を務める。
1986年、総選挙で、旧北海道4区(現9区)から出馬、初当選。
1993年、宮沢内閣不信任案成立後自民党を離党、新党さきがけ結党に参加、非自民が結集した8党・会派による細川内閣で官房副長官を務める。小選挙区導入、政党助成金創設を実現したが、財政再建をめぐり社会党との調整に副長官として尽力するも、福祉目的税の混乱を受け細川総理辞任。その後自・社・さ連立による村山政権時代に起こった新党結成への議論の過程で、その対応における「排除の論理」は物議を醸し、その年の流行語大賞にも選ばれた。
1996年、鳩山邦夫氏らとともに(旧)民主党を結党。菅直人氏とともに代表に就任。1998年、旧民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合の4党により(新)民主党を結党、幹事長代理に就任。
1999年、民主党代表に就任。
2005年、民主党幹事長に就任。
2006年、超党派の「アイヌ民族の権利確立を考える議員連盟」を設立し、会長として各会派の代表者と議論を重ね、6月6日、国会の衆参両院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会派一致で採択された。
2009年、民主党代表に就任。8月30日に行われた第45回衆議院選挙において、308議席を獲得し、民・社・国民連立が合意され、9月16日、国会において首班指名を受け、第93代内閣総理大臣に就任。
持論である「友愛」を基調に、「地域主権」「東アジア共同体」「新しい公共」を政策の柱に掲げ、また、脱官僚・政治主導を下に、国家戦略室、行政刷新会議を設置し、事業仕訳、高等学校無料化を実現。
総選挙中に発言した「沖縄普天間基地の県外移設」を追求したが、結果、ほぼ原案に回帰し、党内での批判も起こり、2010年6月4日、内閣総辞職。
2012年、総選挙に出馬せず、政界を引退。
●「地域主権」とは
「自立」と「共生」の友愛精神を地域に当てはめると、地域主権という発想に至ります。そこで、私は新政権の「一丁目一番地」に地域主権を掲げました。
国と地域が上下関係にあるような現在の制度は、地方の国への依存心を高め、住民の自治意識を形骸化させてきました。そして、補助金行政は、政治腐敗と無駄な公共事業の温床となり、国と地方の財政赤字を拡大させる原因となりました。
国の役割と地域を分担し、地域の判断で実行できる仕組みをつくる
権限を持った基礎的自治体の確立
私は「補完性の原理」、即ち、問題は出来るだけ身近なところで解決されなければならない、という基本的な原理で、国と地方の関係を抜本的に改革するべきと考えます。基礎自治体で出来ることはすべて基礎自治体で行う。基礎自治体で出来ないことのみ、国が行うという発想です。
したがって、国の役割は限定されます。天皇・皇室、外交・安全保障、国の財政・金融、司法・民事・刑事などに係わること、及び全国的な基準が必要となる事項に国の権限を限定します。そして、それ以外の生活に密着したさまざまな権限と必要な財源を地域に移譲します。身近な基礎自治体に権限と財源を移譲して、サービスと負担の関係を住民に見えやすいものとすることによって、初めて地方の自主性、自己責任が生まれると思います。結果として、無駄遣いをなくしながら、地域の活力を生み出すことが出来るようになるのです。国としてもその本来の役割である外交、安全保障、マクロ経済政策などの分野で、国際環境の中で、より迅速に意思決定を行うことが出来るようになるのです。
●「新しい公共」とは
新しい公共とは、支えあいと活気のある社会を作るためのさまざまな当事者たちの「協働の場」です。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。
6千人以上もの命が失われた大きな悲劇でしたが、行政も被災し企業や商店の活動が止まった地震直後の被災地で、人々の生活を支えたのは、被災者たち自身が自発的に作った即席の共同体、NGO/NPO、全国から集まったボランティアが作った「協働の場」でした。100万人以上も集まった被災地の支援者たちも、自分がいることで人の役に立ち、被災地からの感謝が自分の歓びとなり活力ともなったのです。
人は支えあうことで共に生きてゆけるのです。「居場所」と「出番」。それが「新しい公共」の原点です。
今失われつつある「公共」を現代にふさわしい形で作りなおす。
日本の目指す新しい公共
「新しい公共」とはけっして新しい概念ではありません。そもそも、日本に古来からさまざまな形で「支えあいと活気のある社会」を作るための知恵と社会技術がありました。公共はけっして官だけが担うものではなく、例えば教育制度でも、各地に藩校が置かれた一方で、1万5千校もあったと言われる寺子屋という民の教育システムがありました。火消しや見回り組も組織されていました。茶の湯のような文化活動から経済が発展もしてきました。
ところが、明治以降の近代国家への移行の過程で、「公共」=「官」という意識が高まり、国民が社会全体の中で役割を果たすという気概が希薄になってしまいました。そこで今、公共が民の中にあったかつてを思い出し、希薄になった気概を取り戻すため、「協働の場」を再構築したいと考えています。教育、文化、医療、福祉、介護、防災、防犯、環境、経済と言った分野において、私たち国民、企業やNPOなどの事業体、そして政府が協働することでよって、日本社会に失われつつある支えあいの心を取り戻すこと、それが「新しい公共」の目的です。
- 国民も変わる
- 「お上依存」から、自らが選択する当事者へ。
- 自らが当事者だという気持ちをもって行動する。
- ひとりひとりが日常的な場面でお互いを気遣い、人の役に立ちたいという気持ちで、それぞれができることをすることが「新しい公共」の基本。ひとりでは解決できないような大きな社会問題は多いが、大きな問題だからこそ、ひとりひとりの気持ちと、身近なことを自分から進んで行動することが重要。
- NPO等の事業体も、その社会的責任の増大に見合うべく、情報公開を進め、説明責任を果たす。
- 市場・企業も変わる
- 企業も「新しい公共」の重要な担い手。
- 本業における社会性や、社会貢献活動などによる多様な評価を積極的に求める。
- 国民や政府と共に、短期的収益性のみではなく、長期的観点にたった、社会性の発揮が評価される社会を目指す。資本主義のあり方を見直す。
- 政府・行政も変わる
- 「官」が独占してきた領域を「新しい公共」に開き、国民に選択肢を提供する。「国民が選ぶ社会」を作る。
- 多様な主体が「新しい公共」に参画できるように、寄附税制を含め、社会制度を整備する。
- 公務員制度改革、予算編成改革、情報公開、規制改革、地域主権を推進する。
- 「特区」などを活用して社会イノベーションを促進する体制を政府一体となって作る。
- 政府、企業、NPO等が協働で社会的活動を担う人材育成と教育の充実を進める。
- 国や自治体等と市民セクター等との関係の再編成。依存型の補助金や下請け型の業務委託ではなく、民間提案型の業務委託、市民参加型の公共事業等の仕組みを創設する。
- 今後の政府等の対応などをフォローアップし、公共を担うことについての国民・企業・政府等の関係のあり方について引き続き議論をする場を設ける。
●「東アジア共同体」とは
国と国との関係も友愛精神を基調にすべきです。なぜなら、「対立」ではなく「協調」こそが社会発展の原動力と考えるからです。
友愛革命の提唱者、リヒャルト・クーデンホフ・カレルギーは、汎ヨーロッパ主義を主張し続け、長い年月を経てEUを生みました。
欧州統一に比べると、歴史的、地理的、政治的により困難な作業を伴うと思いますが、東アジアに共同体を構想することは、歴史の必然ではないかと思います。なぜなら、急速に発展しつつある東アジアの地域が経済的な結びつきを高め、人的な交流が深まり、信頼関係が高まることは、単にこの地域のみならず、世界全体の経済安定性に、さらには安全保障体制にも大きく貢献すると考えられるからです。
日本はますます緊密に結びつきつつある東アジアを、我が国が生きていく基本的な生活空間ととらえて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を積み重ねていきます。
共に発展する努力と、いのちを守るための努力
経済安定性と安全保障
東アジア共同体構想を進めるためには、具体的な行動を起こすことが大事です。最終的には政治的、または安全保障上の共同体を目指すべきですが、まずは経済的、社会的、文化的な協力関係からスタートすることでしょう。
言うまでもなく、共に繁栄するための協力が最も喫緊の課題です。この地域全体の経済連携を進めるための有力な手段がEPA/FTAです。日本としては、現在、東南アジアの7カ国、ASEAN全体との間などで10カ国1地域の間でEPAを締結していますが、今後、韓国、インド、豪州との間でEPA交渉を加速していきたいと思います。通貨統合はまだまだ先の話です。
いのちを守るための協力も大事です。SARS、鳥インフルエンザ、新型インフルエンザなどの感染症対策における協力、大規模な地震や台風などの自然災害に対する迅速な救援活動の仕組み作り、さらには海賊対策でももっと協力する体制を作る必要があるでしょう。アジアの各地で河川が汚れ、マングローブの林が失われていますが、地域環境問題の解決には鳩山イニシアチブが有効です。日本企業の優れた省エネ技術、スマートグリッドシステム、また水の浄化技術などを広く活用しながら、アジア全体を持続可能な成長に導くことが肝要です。
本当に分かり合える人と人との触れ合い
東アジア共同体構想の大事な鍵
東アジア共同体構想を前進させる際に、最も大事なカギは「人」です。その意味において、教育分野における協力が極めて重要です。日中韓首脳会談において私が提唱しましたキャンパスアジア構想がいよいよスタートしました。3カ国の大学間で、工学系を中心として単位の互換性を認める試みが始まりました。将来はより多くの国が参加し、より多くの大学間でキャンパスアジアが広がることを期待しています。そのことによって、若い世代がアジアにおいて国境を殆ど意識しないで交流することができるのです。そのことは将来、アジア地域に存在しているいくつかの政治的な課題の解決につながると思います。